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就職面接の採否

来春新卒予定者の企業の採用選考面接が、政府主導の就活ルール上で6月1日に解禁されました。 しかし実際には、コロナ禍の影響を脱し、業績を回復してきた企業も増えつつある中、多くの企業が昨年から実質の採用活動を継続しており、理工系を中心に既に多くの学生が内定を受けているのが実情です。一方で人気のある大企業や業種、コロナ禍の影響が未だ色濃く残っている業態では、希望する学生が狭き門を争っています。 日本企業における年功序列型の終身雇用制度は崩壊しつつあり、「メンバーシップ型雇用」と呼ばれる、新卒一括採用後の人材育成を経て職務を割り当てる雇用形態から、職務に必要な経験・スキル等を提示した上で必要人材を募集する「ジョブ型雇用」と呼ばれる採用形態にシフトしている企業も増え始めている中で、どの様な人材を企業は求めているのでしょうか。 当然即戦略と成り得る知識、経験を持った人材が選ばれるハズと思われがちですが、それだけではありません。そもそも中途採用ならいざ知らず、新卒採用で、企業が期待する高い専門知識や経験を持っている学生を探す方が難しいでしょう。 企業でリクルートプロジェクトリーダをしていた時期、リクルーター数名と大学を訪問し学生の模擬面接を実施していた時期がありました。リクルーターは毎年全社から選ばれた、年齢、性別、所属部門も異なる社員から構成されていて、学生1名につきリクルーター全員が面接官となり10分程度の面談を実施し候補者に絞ると言うものでした。当初これだけバックグラウンドが異なるリクルーターが面接官となって、多様な個性のある多くの学生を面談するのだから、人選はかなり難航するのではと考えていました。しかし、奇妙な事に面談後の学生の評価は、全ての面接官でほぼ一致したのです。この傾向は年を経ても変わらず、本採用の面接でも同様でした。 何故この様な結果になったのかをヒヤリングすると、面接官になった社員は、自分なりの色々な尺度で学生を評価していましたが、採用した学生に共通する高評価の項目が2つある事が分かりました。その1つが、その学生が会社のカルチャーに合っているのかと言う事、もう1つは、同僚や上司として、その学生と共に働きたいと思ったかと言う事でした。 これはあくまで1企業人としての個人的な経験則であって、統計的な優位性は無いかも知れません。しかし、これから就職面接に望まれる方々は、自分自身が就職を希望する会社のカルチャーに合った存在なのか、社

2023年04月27日

今更きけないデジタルトランスフォーメーション(DX)

 デジタルトランスフォーメーションと言う言葉は、2004年に出版された「Information Systems Research」に掲載されたスウェーデンのウメオ大学エリック・ストルターマン教授の「Information Technology and The Good Life」と言う論文の中で初めて提唱されたとされている。教授はこの論文の中で、デジタルトランスフォーメーションは、「デジタルテクノロジーが人間の変化のあらゆる側面で引き起こしたり影響を及ぼしたりする変化」と定義している。また、デジタルトランスフォーメーションに伴う最も重要な変化の1つは、情報技術によって、また情報技術を通じて、私達の現実が、徐々に融合し結びつく様になる事であるとしている。 アナログ情報をデジタル形式に変換する「デジタル化」により、産業、組織、市場の組織やビジネスプロセスに「デジタライゼーション」と呼ばれる変化が起き、そのプロセスの変化が与える社会全体への影響、社会システム全体を有機的に結合する事で産み出される新たな機能的価値を「デジタルトランスフォーメーション」と呼ぶのである。 2018年12月に経済産業省が発行した「デジタルトランスフォーメーションを推進するガイドライン(DX推進ガイドライン)Vol.1」では、デジタルトランスフォーメーションとは、「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること。」と定義されている。 このガイドラインで、経済産業省がデジタルトランスフォーメーションを加速する必要性に言及している理由に「2025年の壁」がある。 「2025年の崖」とは、複雑化、老朽化、ブラックボックス化した既存システムが残存した場合、2025年までに予想されるIT人材の引退やサポート終了によるリスクに伴う経済損失が、2025年以降最大12兆円/年(現在の3倍)に上る可能性があると言うものである。 コロナ禍により社会認知が変化、テレワークの普及等による社会システムの大きな変化が、一見企業のデジタルトランスフォーメーションに対する取組みを加速させた様に見えている。しかし、2020年12月に発行された経済産業省の「DX(デジタルトランスフォーメーション)レポート2 中間取り纏め」によると、実際には9割以上の企業がデジタルトランスフォーメーションに全く取り組めていないレベルか、散発的実施に留まってる状況にある事が明らかになっている。大企業の8割がデジタルトランスフォーメーションに対する検討を開始しているのに対して、中小企業では4割にも満たないのが現状である。今後2025年に向けてデジタルトランスフォーメーションを加速するためには、政府・自治体の中小企業を中心とした資金や人材支援等の政策強化、ガバナンスの発揮が重要である。

2022年02月25日

メンタルヘルス

 神田沙也加さんが亡くなられた事が報道され話題となっておりました。享年35歳、有名な両親の下に生まれ、ミュージカル女優として活躍し、将来を嘱望され、順風万端の人生かに思われていた彼女が、若くしてその才能を散らせてしまった事は実に残念でなりません。 最近ふと周りを見渡すと、アラサー女子と言われる世代に、不幸にもメンタルになっている方が、昔に比べ多くなっている気がします。アラサー女子に限らず、年齢性別を問わず、メンタル的に健康を損なってしまった事が原因で、自分を傷つけてしまったり、一部の人達は事件性のあるもっと不幸な事態を引き起こしてしまったりしています。 勿論昔からそうした人達が居なかった訳ではありません。しかし過去、今で言うセクハラ、パワハラが当たり前の様にまかり通り、過労で倒れそうな位の残業の連続や、個人の意思や人格無視の人事や組織采配にも遭遇した事のある高度経済成長期を生き抜いてきた世代からすると、なぜ現代、今の世代の人達はそれほどまでに打たれ弱いのだろうとも思います。 ただそれは、日本社会の現状に起因しているのかもしれません。高度経済成長期は、劣悪な労働環境があった反面、将来に対する夢や希望もありました。企業業績や景気も右肩上がりで、給与所得は年々増え、昇格もあり、若くして重責を担ったり、色々な仕事に携われる機会も多くありました。世間も活気を帯びていて、私生活を充実させる人間関係もありました。 現代社会では、個人の意思や権利を守る制度、女性の社会進出を後押しする制度、会社の人事労務制度も昔に比べると格段に進歩している反面、必ずしも将来に夢や希望が持てる世の中ではないし、給与は上がらず、昇格もなかなか出来ない、やりたい仕事に出会う事もそう多く無い、個々人の意思を尊重するあまり組織や周りの人達との円滑な意思疎通が図れずに孤立化してしまう等の問題が起こっています。 こうした状況を抜本的に改善する事は出来ませんが、それでもなおかつそれに耐え、幸せに生きる術を身に付けられるだけのメンタル的な強さと、それを支える環境が必要なのだと思います。人生100年と言われ、医療技術の発展と共に寿命は延び、ヘルスケアの文字を見ない日はありません。しかし、そんな現代だからこそ、精神病と言うレッテルに嫌悪感や罪悪感を抱き、隠蔽や見て見ぬふりをしてきた日本文化を一歩超えて、欧米並以上に、繊細な日本人に合ったメンタルヘルスの重要性を認識する事が不可欠なのだと思います。

2021年12月20日

経営情報学会2021全国研究発表大会に参加して

 もう暫く前になりますが、11月中旬に武庫川女子大学経営学部で開催された経営情報学会2021年全国研究発表大会に参加しました。ワクチンの2回接種によりコロナ感染も収まりを見せ、まだオミクロン株感染もなかった時期でしたが、コロナ禍での開催と言う事で、初のWebと会場でのハイブリッド開催となりました。会場参加には、ワクチン接種2度が完了している事が条件となっていました。知人が経営学部教授として教鞭を取っていた事もあり、現地参加しましたが、現地参加は全体の2割程度でした。以前の学会では、会場で講演者と参加者が白熱した議論を戦わせ、また初対面の参加者同士が交流を持つ姿が散見されましたが、発表者の殆どもWeb参加であった今回の会場には、そうした雰囲気はあまりありませんでした。 ただ、アフターコロナの時代となっても、ウィルスと共生していく世の中では、こうした開催方法が主流となるのではと思えます。従来の良き慣習が保たれない一方で、Web参加の利便性により、参加者の間口が広がるのではとも思われました。 浅薄であったが故に開催校であった武庫川女子大の規模とキャンパスの充実度にも驚きました。80年以上の歴史を持ち在籍数も1万人を超え、優秀な学生も多く、関西女子大御三家に迫る勢いとの事。今回の会場でもあり、2020年に新設された経営学部が入っている公江記念館は、近代的な様式のホテルの様な建築物でした。こうした恵まれたキャンパス環境が、コロナ禍により十分学生に活用されていない事は残念でなりませんが、こうした大学や大学教育のあり方もまた、アフターコロナの時代に向かって変わって行くのでしょう。

2021年11月19日

東京2020オリンピックボランティアを終えて

 コロナ禍の中、色々な課題を抱えつつ開催された東京オリンピックも無事閉幕しました。オリンピック期間中の東京都を中心とするコロナ感染拡大を考えると無事と言う言葉には語弊があるかも知れませんが、それでも過去最多のメダル数を獲得した日本選手団の活躍は、メディアを通してコロナ禍で暗い影を落としていた国民に活気を与えたに違い無いと思います。 短い競技人生の中の4年間を、結果的には5年間を、東京オリンピック出場のために費やした選手達、この機会を逃したら二度と表舞台に立つ事が出来ないと分かっている選手達が、オリンピック開催に決して前向きでは無い風評が立つ中で、どの様な思い出で競技に臨んだかを考えると、やはり開催して良かったのかなと思える今日この頃です。 私は、プレスオペレーションチームの一員として国技館で開催されたボクシング競技にボランティア参加しました。 無観客の中、選手、競技関係者、ボランティア、プレスの方々もしっかりした感染対策の規則を守り、競技が予定通り進められた事は、運営を任された関係者の方々や、それに協力したボランティアや選手及びその関係者の努力の賜物であったと思います。ボランティアに参加されていた方々の性別、年齢層、職業や立場、目的も多様でしたが、一致していたのは、このオリンピックを成功裏に終わらせたいとの思いでした。 特徴的だったのは、コロナ禍で授業がWebとなり、キャンパスに行く機会も同級生に会う機会も無くした大学生、同じく在宅勤務で会社の同僚と会う機会を失った会社員やOLの方、定年を迎え会社から切り離された方達、子育てが一段楽した専業主婦の方々などが、ボランティアコミュニティの中で生き生きと活躍されていた事でした。 コロナ禍で人とのコミュニケーション機会が減り、自分の存在価値を認識出来る機会が減り、帰属意識が希薄となり、将来に対する不安が拭えない現状にあって、オリンピックの成功と言う唯一無二の目標を持った同志達のボランティアチームの中で、新たな出会いと交友関係を得て、自身にも活躍の場を与えられ、その努力を日々感謝されるボランティアと言う立場は、いっとき自分が光を取り戻せる素晴らしい機会であったのかも知れません。 それは私も例外ではありませんでした。短い間でしたが、そこで出会った方々の笑顔を忘れる事は無いでしょう。 オリンピックボランティアの方々とチームは社会の縮図であり、アフターコロナの時代、人々が幸せで精神的にも豊かに生きられる社会、組織を形作っていくために必要な、従来とは異なる人と人の繋がり、組織目標、組織活動、人材教育、処遇のあり方を考える良い事例になると思われました。 コロナ感染が深刻化する中で、パラリンピックが開催されますが、オリンピック同様多くのボランティアの方々がその成功を支える力となって、パラリンピックが成功裏に終わる事を祈っています。

2021年08月31日

経営学と言う学問(その3)

 学問としての経営学は、その理論が企業経営で実践されてこそ初めて意味を持つものだと考えます。勿論純粋な学問としてその理論体系を確立すべく日々研鑽してい大学の先生方の努力には頭が下がるばかりです。また大学での授業を通して、将来優秀な経営者となるべき人材を育成し、間接的に企業成長に貢献、ひいては未来社会にも貢献している事が重要である事は言うまでもありません。しかし、その最先端の経営理論が現在の企業経営に正しく応用されていないとすれば、非常に残念であると言わざるを得ません。長年企業での実務に携わりながら、大学で経営学の研究にも従事してきた身としては、多くの経営の実務者から学問としての質を問われ、実際に企業での理論応用が必ずしも上手くいっていない現状に忸怩たる思いがあります。 では多額の業務委託費用を受け取る事で経営者の懐刀となり、企業の経営戦略やプロセス支援を行ってるコンサルティングファームの方々は、大学の教授陣と同等以上の経営学の知識を有し、クライアント企業の実務や産業の実態を熟知しているのでしょうか。勿論中には優秀なコンサルタントや、MBAホルダーも多数いるでしょう。ただ、業界有数のコンサルティングファームであっても、私の少ない経験では、そうした人材はごく少数であり、大多数は経営学の勉強も、ましてや最先端の経営研究にも従事した事のない人達がほとんどです。 一方で、経済学理論の経営実務応用を研究している教授から、企業からの委託研究を受けた事はあるが、全くこちらの理論も意図も理解して貰えず、喧嘩別れとなって散々な目にあったので、もう企業からの依頼はまっぴらごめんだと言う話も聞いた事があります。何故この様な矛盾する事態に陥るのでしょうか。これは双方の知識レベルの違いや認識の違いを議論するだけでは解決しない、コミュニケーションを司る翻訳機能の欠如が原因では無いのかと言う疑問を実証したいとの思いが、私がコンサルティング会社を起業した理由でもありました。

2021年04月30日

経営学と言う学問(その2)

 大学の理工学系の教授や学生が、企業のR&Dとの共同研究により発明した技術をベースに、企業が応用製品を開発、販売した事例は数多く存在するし、自らベンチャー企業を設立、事業運営に乗り出している例も少なくない。大学での研究成果が、そのまま企業に、また社会システムに共通言語として受け入れられ、事業成果に直結する形で社会貢献が出来ている。一方で、欧米では著名な経営学系の教授がコンサルティングファームを設立、自ら経営を実践、間接的に社会貢献出来ている事例もあるが、理工学系の教授や学生達に比べるとその数は圧倒的に少ない。事実、経営学の教授に企業経営を任せれば上手くいくと思っている実務者は多くは無いだろうし、実際の企業経営でその様な事例にお目にかかった事は、私の知る少ない経験の中では皆無である。
 確かに経営学の著名な教授が企業に招待され、企業幹部や役員研修等の講師となる事は多々ある。経営史に残る経営者や経営学者の実績、企業のケーススタディの成果を解説、一定の理解と賞賛を得るものの、それはあくまで研修としての知識であり、実務はそう簡単では無いと口に出す経営幹部の言葉を何度も耳にした。「いーよなー、会社経営に責任の無い人は。そりゃーそうかも知れないけど、本来あるべき姿の理論をかざして何でも上手くいくなら誰も苦労しないんだよ」と。

2021年03月20日

経営学と言う学問(その1)

 理系人間の私が経営学を大学院で勉強するきっかけになったのは、将来の経営人材を育成するのための、「経営の分かる技術者の育成」を目的とした企業の社内研修だった。社外から著名な企業幹部や大学教授を招聘し、全社から集められた精鋭として質の高い教育を1年近く受ける事になった。結果として分かった事は、企業組織、プロセス、人材には、本来経営学的にはあってはならない制度、組織、プロセスあり、それを管理する幹部にもまた有り得ない人材が居ると言う事実だった。研修参加者は皆それを知り、我々は「パンドラの箱」を開けてしまった、知らなければ平和なサラリーマン人生を送れたものをと嘆いたものだった。
 研修が終わり、送り出した組織に戻った研修生の中には、経営理論が指し示す本来あるべき姿と組織との乖離を是正しようと、学んだ知識を元に組織、人事、業務改革に乗り出そうとして、組織や幹部の壁に阻まれ思い悩む日々を送る事になった者も多かった。自身で理想的な事業経営しようと会社を去るものまで出た半面、研修で得た知識は知識、その教育実績を自身のキャリアとして経営幹部への道を突き進んだ者も居た。
 私はと言うと、そのどちらでも無かった。経営学が指し示す本来あるべき姿と、経営理論とは一見矛盾する企業組織が、何故持続的な成長を遂げる活動が出来るのか、そこに乖離があるとすれば、その理由が何で、どうすればその乖離を埋め、経営理論を正しく企業経営に繁栄させる事が出来るのかに興味を持った。
 経営理論に致命的な間違いがある訳でも無いが、かと言って企業の組織構造、人事制度、規則、プロセスも、その企業の実績を考えると誤っているとは言えない。だとしたら何故その様な矛盾が生まれるのだろうか。

2021年01月20日